フェルドハイムにおける再生可能エネルギー事業——地域社会との協働という視点から(Renewable energy projects in Feldheim. From the perspective of cooperation with the local community)

中田潤(NAKATA, Jun)

  • 再生可能エネルギー(Renewable energy)
  • 農業協同組合(Agricultural Cooperative)
  • ドイツ連邦共和国(Federal Republic of Germany)
  • 市民社会(Civil Society)

ドイツ・ブランデンブルク州フェルドハイムでは,現時点で実用化されているほぼ全ての種類の再生可能エネルギーを利用して,地域内の産業用・家庭用のエネルギーの完全自給化を達成している.またそれは地域社会の主体的な活動によって成立したものでもある.本論ではそうしたことが可能になった要因について考えてみる.

ドイツ連邦共和国ブランデンブルク州にある集落フェルドハイムでは,現在(2024年)陸上風力発電,太陽光発電,バイオガス発電,村内全域への温水供給システム,蓄電施設が稼働しており,さらに水素の生産・貯蔵設備の建設が進められている.フェルドハイムは人口130人,世帯数30余りの集落にもかかわらず,それゆえにドイツ国内のみならず,全世界から視察が殺到する地域となっている.その様相は,外部の観察者の目線からすれば,まるで再生可能エネルギーに関する常設の一大ショールームのようである.しかしながらよく注意して観察すると,それぞれの事業は,特定の企業の主導によって,地域社会と分離した形で運営されているのではなく,フェルドハイムの地域社会ないし市民社会と企業とが,有機的かつ不可分の形で協働する形で機能していることに気付かされる.我が国の研究者の大部分が,再生可能エネルギー事業について議論するとき,今日においてもなおテクノロジー的側面にのみ関心を向けているとき,こうした市民社会論的視点への着目こそが,不可欠かつ本質的であると筆者は考えている.そこで本稿ではフェルドハイムでの事業について紹介すると同時に,こうしたプロジェクトがなぜフェルドハイムで実現するに至ったのか,その歴史的・社会的な背景について考察してみる.

フェルドハイム村
フェルドハイム村

陸上風力発電

フェルドハイムの再生可能エネルギー事業は,陸上風力発電から始まる.その出会いは,ある種の偶然によるものであった.後述するように,LPGから農業協同組合へ転換を終え,経営がある程度軌道に乗り始めていた1992年に,ミヒャエル・ラシェマンと名乗る人物が訪問してきた.彼は当時土木工学を専攻する大学生であったが,訪問の目的は,自らのプロジェクトを村の行政ならびに農業協同組合に説明することであった.そのプロジェクトとは,再生可能エネルギーとしてその将来が有望視されていた風力発電事業,つまり風車を4基(出力500Kw/h)フェルドハイムに建設するというものであった.これについても後述するが,農業協同組合が経営を行っている土地の中には,所有者が旧西ドイツ地域に居住し,組合がそれを借地している場所が50haほど存在していた.ラシェマン氏のプロジェクトは,この借地部分を利用するものであり,またすでに西ドイツ在住の土地所有者の承諾も得ていたため,法的な意味において,風車建設に際しての障害はなかった.しかしながらラシェマン氏は,当該の地域社会の理解も不可欠と考えており,また可能ならば農業協同組合および行政との協働も望んでいたため,こうして現場に出向いてきたのであった.

この提案に対して,当時の村長は歓迎の姿勢を示したが,農業協同組合の側は,耕地内に建設される風車の存在が,農作業にどのような影響を与えるのか未知数であったため,当初は懐疑的であった.

結局村内に存在する借地に4基の風車が建設され,最初の提案から2年後の1994年に操業を開始する.その後農業協同組合も,ラシェマン氏のプロジェクトへの協力と方針転換し,組合が所有する農地の内,風車の台座が建設される部分のみ借地とする契約をラシェマン氏と結ぶ.この方式により,フェルドハイムの農地の中に風車が次々と建設されていくことになる.2024年現在で,村内には55基の風車が建っており,その総発電能力は1億2500万Kw/hであり,それはおよそ55,000世帯分の電力使用量に相当する.

こうして事業が軌道に乗り始めたラシェマン氏は,1997年に再生可能エネルギーを事業目的とするエネルギー・クヴェレ社を立ち上げる.本社はベルリン南方10Kmにあるツォッセンに置かれたものの,その最大の拠点はフェルドハイムであった.こうしてフェルドハイムの住民の一定数は,エネルギー・クヴェレ社と後に述べる新エネルギー・フォーラムに雇用されていくことになる.ちなみこのエネルギー・クヴェレ社自体は,フランス,ポーランド,フィンランドでの風力発電事業および南アフリカの沿岸地域でのオフショア風力発電事業も展開しており,2024年時点で約800人の従業員を抱える企業へと発展している.

バイオガス・地域熱供給事業

エネルギー・クヴェレ社のフェルドハイムでの事業展開は,この地の農業協同組合の農業経営のあり方にも影響を与えていく.その一つは,農業協同組合が自らの取り組みとしての風力発電事業に参入していったことであった.エネルギー・クヴェレ社が建設した風力発電機による売電収入は,同社の利益となった.農地の一部を同社に提供しつつ,それを傍らで眺めていた農業協同組合は,収入源確保のために自らも風車建設に乗り出していった.その際にエネルギー・クヴェレ社が様々な形で支援を行ったのは当然のことであった.

もう一つは2009年より本格的に稼働を始めたバイオガス・コジェネレーション施設の建設であった.この施設は,農作物と家畜の排泄物をバクテリアによって発酵させることによりメタンガスを発生させる.これを燃料としてコジェネ発電機を稼働することにより熱と電力が生産される.従来の発電機では,発電の過程で機械の損傷を防ぐために冷却措置が必要であった.つまり発電の過程で発生してくる熱は,「廃熱」として廃棄される.これに対してコジェネ発電機では,発電の過程で発生してくる熱を,温水を作るための熱源として利用する.この温水は,村内にはりめぐされたパイプラインを通して各家庭や事業所に供給される.こうして供給された温水は,各家庭に設置された熱交換器を介して,給湯用の温水として使用されるだけでなく,セントラルヒーティングとして暖房に使用される.またこのシステムで生産された熱(温水)の量は,発電量と比例することになるが,とりわけ冬期には不足する可能が発生してくる.そうした事態に対応するために,間伐材を燃料とするボイラーがシステムに組み込まれ,これが追加の熱源となる.

このバイオガス・コジェネレーション事業は,この事業を運営するために農業協同組合とエネルギー・クヴェレ社の共同出資により設立された企業によって運営されている.農業協同組合は,これまでジャガイモ,甜菜および畜産を主たる生産物としていたが,その市場価格の低下ならびにエネルギー価格の高騰が経営を圧迫するようになっていた.そこで畜舎の暖房ためのエネルギーをバイオガス施設を建設することにより,自己調達することを目指した.またバイオガスを生産するためのいわゆるエネルギー作物として,トウモロコシ,大麦,小麦,ライ麦,菜種などが適していることは分かっていたため,従来の作物の一部をこうしたエネルギー作物に転換することで,作付け品種の多様化と収入構造の多様化が実現することになった.

農業協同組合は,エネルギー作物および間伐材をこの企業に納入し,実質的にこの農業組合の組合員もしくは従業員である村内の各家庭・農業協同組合・行政機関等は,この企業から電力と熱(温水)を購入している.電力の購入価格は13セント/Kwh,熱供給が7.5セント/Kwh(2024)であり,ドイツ国内の平均価格32セント/Kwh,ガス20セント/Kwh (2022)よりも大幅に安価である.

太陽光発電

バイオガス事業とほぼ同時期に,フェルドハイムは太陽光発電事業にも着手していた.集落の北東約5Kmに位置するゼルターホーフという場所に,エネルギー・クヴェレ社とフェルドハイム村はソーラーパークを建設する.この場所は1994年にソ連軍が撤退するまで約40年間ソ連軍の駐屯地として使用されていた.ソ連軍の撤退後,85棟あった兵舎等の建物を撤去した後に,45haの敷地に合計で9,844枚の太陽光パネルが設置され,2008年から稼働を開始した.年間発電量は2,748MW/hに達しており,これは約600世帯の年間電力需要に相当する.

エネルギー自給村

フェルドハイムでは,バイオガス・コジェネレーション事業ならびに太陽光発電事業が軌道に乗り始めた2010年に,いわゆる大手電力事業者による電力網に全く依存しない体制を作り上げ,ドイツ最初の「エネルギー自給村」であることを宣言した.この地域にこれまで電力を供給していたいわゆる大手電力事業者はエーオン社であったが,当初フェルドハイムはエーオン社から既存の電線網を買い取るもしくはリースすることで電力の自給体制を構築することを考えていた.しかしながらエーオン側がこれを拒否したため,エネルギー・クヴェレ社からの出資,EUとブランデンブルク州からの先進的な再生エネルギー事業に対して交付される補助金,そして村民の負担金(一人3,000ユーロ)によって,エーオンとは別個に独自の送電網ならびに温水パイプライン網を村内に建設した.

新エネルギーフォーラムの設立

フェルドハイムが「エネルギー自給村」を宣言した頃から,その再生可能エネルギーの利用形態および地域内循環型の生活形態は,ドイツ国内のみならず世界各地から注目されるようになった.それは世界各地からの視察の殺到という形で具体化する.こうした状況に着目したエネルギー・クヴェレ社は,2014年に村内の住民およびフェルドハイムの「エネルギー転換」に向けた活動に関心を持つ村外の人々によって立ち上げられていたNPOと協力して,「エネルギー転換」の紹介・普及・啓蒙を目的とした一大センターを設立する.「新エネルギーフォーラム」という名称を持つこのセンターは,村内に本拠地を持ち,主として視察団および教育機関による学習活動への対応を行っている.視察についていえば,年間約3,000名の来訪者があり,国連加盟国の中で視察団が訪れなかった国を探す方が難しいような状況である.また新エネルギーフォーラムの活動はこれに留まらず,再生可能エネルギーへの転換に関心を持つ組織に対する技術・経営コンサルタント,再生可能エネルギーに関するセミナー,ワークショップや国際会議のオーガナイズ,またそうしたイベントのフェルドハイムでの開催なども手がけている.新エネルギー・フォーラムの本部・セミナーハウスは農業協同組合の本部の真向かいに立地しており,またフォーラムに雇用されている人たちの大部分は村民である.ここからもフェルドハイムの再生可能エネルギー事業が地域社会との協働性の上に成り立っている事実を読み取ることができる.

新エネルギーフォーラムのカッペル氏と筆者
新エネルギーフォーラムのカッペル氏と筆者

蓄電設備と水素ステーション

2015年9月にはエネルギー・クヴェレ社は,風力タービン製造企業であるエネルコンと共同でヨーロッパ最大規模の蓄電システムの稼働をフェルドハイムにおいて開始した.この蓄電システムは韓国のLG化学社製の容量17,000Kw/hのリチウムイオン電池(モジュール数3,360個)から構成され,稼働開始時点においてはヨーロッパ最大規模を誇っていた.「フェルドハイム地域統制発電所」という正式名称をもつこの設備は,我が国でも近年問題になっている,再生可能エネルギーの供給過剰によりいわゆる出力制御が必要になった時に,フェルドハイムで生産された電力を蓄電する機能を担っている.また逆の場合,この設備が電力を放出することによって地域の送電網の電圧を安定させる機能も果たしている.

フェルドハイムという集落に限れば,電力は圧倒的に供給過剰という状態になっており,これまでその余剰電力は,大手電力事業者に売電されてきた.しかしながら上記のような出力制御が発生してくるように,再生可能エネルギーによる電力供給はドイツの全電力網のキャパシティを圧迫する存在にすらなりつつある.上記のような蓄電設備の拡充がその一つの対応策になるのであろうが,現状ではそのコスト・性能面から本格的な実現に至っていない.そうした状況を見据えて,すでにフェルドハイムではさらなるプロジェクトが進められている.それが水素ステーションの建設である.2024年現在なお計画段階であるものの,余剰電力を利用して水を電気分解し,いわゆるグリーン水素を生産する.こうして生産された水素はトラクターなどの農業用車両の燃料として使用される予定である.また農業用車両は,GPSを利用して完全に無人での農作業が可能になるという.すでにそれに向けたテストコースの設置も村内では進められている.

フェルドハイムにおける再生可能エネルギー関連の事業の多くが,新エネルギー・フォーラムを含め,エネルギー・クヴェレ社のイニシアティブによって始められてきた.しかしながらバイオガス・地域熱供給システムの例が端的に示しているように,地域社会との協働が,決定的な役割を果たしていることにも注目しておく必要がある.このエネルギー・クヴェレ社の事業に対して,ほぼ全面的に協力するような地域社会が成立している背景を理解するには,このフェルドハイムという旧東ドイツ地域の歴史を理解しておく必要がある1.以下それについて考察していく.

現在においてこそ,村内での雇用は,エネルギー・クヴェレ社や新エネルギー・フォーラムによるものがあるものの,1990年代前半まではそのほとんどが農業・畜産業によって生み出されていた.またこの農業・畜産業は,フレーミング農業協同組合という名称の,我が国でいう農業生産法人によって営まれている.この農業生産法人が村内の雇用の大きな部分を占める状態は,現在においても基本的に変わっていない.つまり人口130人のこの集落の地域社会は,組合員もしくは従業員という形で,フレーミング農業協同組合とほぼ同義である.

フレーミング農業協同組合
フレーミング農業協同組合

土地改革から農業の集団化へ

第二次世界大戦終結から数ヶ月後の1945年9月以降,フェルドハイムを含むソ連軍占領地域(後のドイツ民主共和国)では,占領当局が土地改革に着手していた.「ユンカーの土地を農民に」というスローガンのもとに,100ヘクタール以上の土地を所有する者から,補償なしにその土地は収用された.この措置によって,1949年までに合計約250万haを所有する約7,000人の大規模農家ないし地主層が影響を受けた.これにナチス体制下において,すでに収用されていた約60万haを合わせると,こうして収用された土地は,ソ連軍占領地域に存在していた農地全体の約三分の一に達していた.

この収用された農地の大半は,いわゆる東部地域の国境変更によって土地を追われた人々,もともとわずかな土地しか所有していなかった農民や土地を全く所有していなかった農業労働者に分配された.こうして新たに分配された土地に対して,1949年10月に成立したドイツ民主共和国は,ソ連の計画経済に倣う形で,生産と収穫に対し,あらかじめ満たすべきノルマを設定した.しかしながら新たに成立した自作農の大部分は,分配された農地の小ささも相まって,ほとんどの場合,このノルマを達成することができなかった.こうした状況に直面して1950年代以降,東ドイツ政府は「農業生産協同組合(LPG)」という形態での農業の社会化(=集団化)を強制的に推し進めていく.

しかしながらこうした強制的な集団化を全ての農民が受け入れた訳ではなく,1952年から1953年にかけて,農民の西ドイツへの逃亡が急増する.この期間だけで約11,000人の農民がドイツ民主共和国を離れたと言われている.集団化の進展と農民の西ドイツへの逃亡という事態の展開は,フェルドハイムでも同様であった.

ヴェルナー・シュルンケ氏
ヴェルナー・シュルンケ氏

経営の機械化・大規模化とドイツの再統一

その後東ドイツにおける集団農場は,政府によって設置された「農業機械貸出センター」から農業機械を借り入れ,それを使用することによって機械化・大規模化していく.経営の効率性や生産性,そして産品の質といった点は別として,1960年代以降もLPGの経営は大規模化,機械化の一途を辿っていく.

しかしながら1989年の半ば突然のSED体制の崩壊と1990年のドイツ再統一は,フェルドハイムも含めたLPGに大激変をもたらした.統一後の連邦共和国によって示された旧東ドイツ地域における農業政策に関する基本方針は,LPGの解体と100〜200ha程度の経営規模を持つ自作農の創設であった.それを可能にするために,ドイツ民主共和国の解体とその法体系の無効化が宣言された後でも,前述のソ連軍占領当局ならびに東ドイツ政府によってなされた土地改革=土地の分配は有効とされた.

LPGに加入することによって,本人の意思で自らの土地の処分することは事実上不可能になっていたが,実は土地の「所有権」それ自体は東ドイツ時代にも否定されていなかった.

これが上記の措置により,所有する土地の処分権が,個々の組合員に対して明確に認められることになった.さらにその所有権は,東ドイツ時代に土地を捨てて西ドイツに逃亡した農民に対しても認められていた.それゆえに,こうした西ドイツに在住する「農民」による,東ドイツに存在する自らの土地の返還要求が,統一後大量に発生してくることになる.

しかしながらより重要なのは,とりわけブランデンブルク州を中心として多くのLPGの組合員たちは,連邦共和国政府の農業政策に反して自作農として再出発するのではなく,LPGという集団農場に属した形での経営の継続を望んでいたことであった.またフェルドハイムの場合は,全組合員が集団経営の継続を望んでいた.そこには東ドイツ時代のLPGによる大規模な経営は,一つのLPG経営が一つの自治体全体を含む規模に達しており,またそのLPGが,葬儀や教育・文化活動といった様々な社会的機能も担っていたことにより,地域社会とほぼ同一視が可能な存在になっていたことが影響していた.

しかしながら,旧西ドイツのみならず,大規模農業経営が展開していたスペインやイタリアの農業ロビーからの圧力も影響して,LPGを法的な意味で統一ドイツに存続させることはできなかった.その背景には,こうした西ヨーロッパの農業ロビーが競合勢力の出現の可能性を排除する意図があったと言われている.そこで旧連邦共和国の法制度の枠内において,LPGの再編制の形態として採用できる可能性があるとLPG組合員が考えたのは「(登録)協同組合(eingtrage Genossenschaft)」であった.

1992年時点で,LPG組合員によって設立された農業協同組合の数は,旧東ドイツ全域で約3,000となっていた.こうした農業経営の多くは,今日場合によってはもはやEUによる農業補助金を必要としない程の高い生産性,経営効率性を誇っている.

また彼らは,旧東ドイツのLPG時代の経験を引き継ぐ形で,新規事業に乗り出すに際に,共同で意思決定を行い,大規模な資金を動かす能力を持っていた.またLPGは事実上地域社会と同一であったため,新規事業展開に際してその後継組織である農業協同組合の理解が得られたとき,地域社会の了解も容易に得られた.それが1990年代に再生可能エネルギー事業に大規模に乗り出していくことができた社会構造的な背景と言えた.

  • ヴェルナー・シュルンケ氏へのインタビュー(2024年9月6日 フェルドハイム・フレーミング農業協同組合事務所にて)
  • ジークフリード・カッペルト氏へのインタビュー(2024年9月6日 フェルドハイム新エネルギーフォーラムにて)
  • 中田潤「ドイツ民主共和国における農業集団化から農業協同組合へ 遅れてきた成功?」『人文社会科学論集(茨城大学人文社会科学部紀要)』第4号(2025年2月)
  • Bundeszentrale für politische Bildung, Redaktion www.bpb.de (2019): „Vor 60 Jahren. Gesetz über die Landwirtschaftlichen Produktionsgenossenschaften in der DDR“, in: Hintergrund aktuell, veröffentlicht am 29.05.2019 auf bpb.de, online verfügbar unter: https://bpb.de/292011.
  • Gubser, Alexandra: „Ein Dorf trotzt der Energiekrise“, in: SRF, 17.11.2022, Link: www.srf.ch/news/international/feldheim-in-deutschland-ein-dorf-trotzt-der-energiekrise.
  • Kimmel, Elke: „Von LPG zu e.G., GbR und GmbH oder: Von „Alt-Kommunisten“ zu „Neu-Kapitalisten“? Der Anpassungsprozess der ostdeutschen Landwirtschaft nach 1989 und seine Folgen bis heute”, in: Deutschland Archiv, 1.02.2021, Link: www.bpb.de/326430.
  1. これについては詳しくは参考文献に挙げた中田論文を参照されたい.
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>フェルドハイムにおける再生可能エネルギー事業

フェルドハイムにおける再生可能エネルギー事業

ドイツ連邦共和国ブランデンブルク州にある集落フェルドハイムでは,現在(2024年)陸上風力発電,太陽光発電,バイオガス発電,村内全域への温水供給システム,蓄電施設が稼働しており,さらに水素の生産・貯蔵設備の建設が進められている.フェルドハイムは人口130人,世帯数30余りの集落にもかかわらず,それゆえにドイツ国内のみならず,全世界から視察が殺到する地域となっている.その様相は,外部の観察者の目線からすれば,まるで再生可能エネルギーに関する常設の一大ショールームのようである.

しかしながらよく注意して観察すると,それぞれの事業は,特定の企業の主導によって,地域社会と分離した形で運営されているのではなく,フェルドハイムの地域社会ないし市民社会と企業とが,有機的かつ不可分の形で協働する形で機能していることに気付かされる.

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