ドイツの高級紙『Die Zeit』に、介護保険の実情とその改訂をめぐる議論が記事になっていました。それを一部省略して紹介し、日本の今後を考える材料にしたいと思います。
それなのに、彼はずっと働き続けてきた
「貯めることばかり考えるのではなく、もっと頻繁に妻と休暇に出かけるべきだった」。クルト・ロジプカさん(88歳)は生活保護を受けながら介護施設で暮らしている。政府の計画により、他の高齢者も同様の事態に直面する恐れがある。
クルト・ロジプカさんは控えめな男性だ。めったに文句を言わない人だ。それでもこの小遣いの件については、やはり腹が立つようだ。彼はもう子供ではない。つい先日、88歳になったばかりなのだ。「個人の自由な使用に供される適切な金額」と、社会法典には定められている。その月額の支給額は152ユーロ(約18,000円)である。
ロジプカさんは、ベルリン南東部にある介護施設の地下階の20号室に住んでいる。ロジプカさんの部屋は14平方メートルで、ベッド、テーブル、クローゼットがあり、壁には家族の写真が飾られている。ロジプカさんは小遣いをもらっている。というのも、介護施設に入所したことで生活保護受給者になってしまったからだ。彼は生涯働き続け、社会保障制度に保険料を納めてきた。ベルリン交通局(BVG)のバス運転手としてシフト勤務で街中を走り回っていた。しかし、年金と貯蓄だけでは、施設の入居費を賄うには足りない。今や彼は、自分が決してなりたくなかった存在、つまり国家に依存する存在となっている。
ドイツ全土で、介護施設入居者の37パーセントが同様の状況にある。この割合は、1995年の介護保険導入以来、もっとも高い。そして、連邦政府による介護改革の計画が現実のものとなれば、将来さらに上昇する可能性が高い。つまり、ロジプカさんが現在置かれている状況は、働き、貯蓄し、老後の保障は確保されていると信じている何万人もの人々が直面しかねない事態の予兆である。
2年半ほど前から、彼はこのベルリンの施設で暮らしており、要介護度は2、つまり2番目に低いレベルに分類されている。シャワーを浴びる時など、いくつかのことには支援が必要だが、庭を散歩するなど、多くのことは自分でこなしている。
1938年にベルリンで生まれたロジプカさんは、まずパン職人の修業を積み、その後ベルリン交通局でのキャリアを1960年にスタートさせた。当初は車掌として勤務していたが、その後、彼はバス運転手に昇進した。「そして今、俺は国の負担になっている。なんてこった」と彼は言う。
彼の年金と、亡くなった妻の遺族年金は合わせて約2,000ユーロ(約236,000円)である。これは、ドイツの平均的な年金受給者が手にする額よりも多い。それでも、老人ホームの入所費を賄うには不十分である。というのも、自己負担額、つまりロジプカさん自身が支払わなければならない金額は、月額2,750ユーロ(約325,000円)に上るからだ。その差額750ユーロ(89,000円)は、社会福祉局(Sozialamt)が負担している。社会福祉局が費用負担を承認する前に、ロジプカさんは数十ページに及ぶ書類に記入しなければならない。彼は自身の資産に関する情報を提供し、アパートも家も所有していないことを証明しなければならなかった。というのも、配偶者がもう住んでいない不動産は、大部分の場合、施設入所の費用を賄うために売却または賃貸されることになっている。また彼の貯蓄のうち、10,000ユーロ(約1180,000)は「非課税資産」として口座に残すことが認められた。彼の子供たちが費用負担を求められることはなかった。それは、彼らの年収はそれぞれ10万ユーロを下回っていたからだ。
介護施設の費用には、宿泊費と食費が含まれている。しかし、携帯電話の料金、理容や歯ブラシなどといった日用品、衣類、コーヒー代といった日々の生活において必要なものは、152ユーロの小遣いから支出しなくてはならない。時々、お金が残っていれば、子供や孫へのささやかなプレゼントを買うこともある。
生活保護受給者となることによって、彼の中産階級としての生活は、質素な暮らしへと変わった。ロジプカさんは時々、一体これまで何のために働いてきたのかと自問する。もし社会保障制度に一度も保険料を納めていなかったとしても、生活保護受給者として今と同じ部屋に住み、同じ152ユーロを受け取っていたはずだ。「ただひたすら貯金ばかりするのではなく、妻ともっと頻繁に休暇に出かけるべきだった」とロジプカさんは言う。そうしていたとしても、今振り返ってみると、彼の人生に何の違いもなかっただろう。
介護保険制度は1994年に、当時の労働大臣ノルベルト・ブリューム(Norbert Blüm CDU)によって構想された。これは部分補償制度として機能するはずであった。介護保険が上限額までの金額を支払い、残りの費用は施設入居者が負担する。法案の趣旨説明には、次のように記されていた。「生涯にわたり働き、平均的な年金を積み立ててきた人は、介護が必要になった際の費用のせいで生活保護を受ける必要があってはならない」。
しかし、その構想は実現しなかった。今日、施設入居者の3人に1人以上が生活保護を受けている。これは1990年代末以降の介護をめぐるコスト上昇に起因する。介護職員の給与は大幅に上昇し、介護対象者1人あたりの介護職員数も増えている。さらに、ドイツでは人々が長生きするようになった一方で、人生の終盤には健康状態が著しく悪化し、より多くの支援を必要としている。「介護の必要性」の定義が拡大されたため、知的障害を持つ人々のより多くが施設に入所するようになった。
支出が急増する一方で、介護保険による給付額は当初、全く引き上げられず、その後も十分とはいえない額しか引き上げられなかった。その結果、介護を必要とする人々が自ら負担しなければならない自己負担額がますます高くなった。2017年以降だけでも、その総額は平均で2倍になった。ロジプカさんの場合、毎月の請求額は以下のようになる:介護費900ユーロ(約106,000円)、宿泊費と食事代800ユーロ(約95,000円)、600ユーロ(約70,000円)の投資費用(施設が維持管理や改修工事の資金を賄うためのもの)。さらに、介護実習生の教育費用として370ユーロ(約44,000円)が加算される。
長年にわたり、自己負担額をどのように削減できるかについて政治的な議論が続いている。例えばSPDは、2025年の連邦議会選挙に向けた選挙公約において、介護関連費用に1,000ユーロ(118,000円)の上限を設けることを求めた。これには国家として数十億ユーロの費用負担になるが、国にはその資金がない。
連邦保健大臣のニーナ・ヴァルケン(Nina Warken: CDU)は先週、大規模な介護保険改革の最初の草案を提示した。もしこの計画が実施されれば、自己負担額は減るどころか、むしろ増えることになる。というのも、ヴァルケン氏は保険給付の削減を計画しているからだ。これまでの制度では、例えば2年間施設に入所している人は、3年目の滞在期間において介護費用の50%が還付される。将来的には同じ期間でも30%に削減され、全額の50%が適用されるのは4年目以降となる。そうなれば、介護施設入居者の大半はこれまで以上に自己負担を強いられることになる。
彼らは貯蓄をこれまで以上に早く使い果たすことになるであろう。また生活保護を必要とする人の割合も増加するだろう。いくつかの研究者によると、2035年には施設入居者の生活保護受給者の割合は、現在37%から46%に達するという。つまり、介護施設の費用を自力で賄えるドイツ人は、わずか半数弱しかいなくなる可能性がある。そうなれば、本来は困難な生活状況における緊急措置として考えられている生活保護が、主要な財源の一つとなるだろう。
社会民主党(SPD)、キリスト教社会同同盟(CSU)、および社会福祉団体はヴァルケン氏の提案を批判している。
ドイツには介護を必要とする人が600万人近くいる。社会福祉局が介護に支払う費用が増えれば増えるほど、社会福祉局に資金を提供している自治体への負担は大きくなる。過去数年間で、自治体の支出はすでに大幅に増加しており、2014年の35億ユーロ(4,130億円)から2024年には53億ユーロ(6,254億円)に達する見込みだ。自治体は「法定介護保険の穴埋め役としてますます大きな負担を強いられることになる」とブルクハルト・ユング氏(Burkhard Jung:ドイツ自治体協会会長)は語る。まもなく他の分野で支出を削減せざるを得なくなるだろう。「例えば、バスや電車の運行本数が減り、スポーツ、文化、青少年向けプログラムが削減されるか、公園や遊び場の維持管理が疎かになる」とユング氏は語る。ロジプカさんもこの変更の影響を受けることになる。ロジプカさんを担当するベルリン・ノイケルン区は、今後750ユーロではなく、1,300ユーロ近くを社会福祉局に支払わなければならなくなる。
しかし、なぜヴァルケン保健相はこれほど厳しい削減策を決断したのだろうか?真実はこうだ。介護保険は事実上破綻状態にある。その収入の伸び――つまり主にすべての法定被保険者からの保険料――は、支出に比べて著しく鈍化している。これは、高齢化、コストの上昇、そして3年間にわたる実質経済成長の停滞と関係がある。2027年には、介護保険に76億ユーロ(8,968億円)の資金不足が生じる恐れがある。この赤字は、理論上は保険料を大幅に引き上げることで補填できる。しかし、連邦政府は保険料の増額を一定程度に保つと約束している。これにより、雇用主は過度な人件費外負担から、また労働者は増加する社会保険料から守られることになる。他方で労働者もまた、社会福祉事務所の財源となる税金を納めており、その資金が介護施設の運営費に充てられている。結局のところ、コストは主に別の形で再配分されている。
ロジプカさんの日々はどれも同じだ。たいてい彼は5時半に目を覚まし、7時には一番乗りで朝食をとる。それからジャケットを着て近所を散歩する。正午には昼食をとる。黄色く塗られた壁の大きなホールには約30人の介護施設の入居者が座っている。その多くは認知症を患っており、大半は黙り込んでいる。夜にはよくドキュメンタリー映画を見ており、特に遠い国や動物に関するものが好きだ。「そうやって一日をやり過ごしているんだ」と彼は言う。
ロジプカさんの介護費用をどうすれば安くできるだろうか?それはそう簡単ではない。例えば健康保険の場合、医師の報酬を削減したり、製薬業界の利益率に手を加えたりすることは可能だ。しかし介護に関しては、その余地はほとんどなく、結局のところ介護を必要とする人々か、介護職員のどちらかが犠牲になる。一部の経済学者はヴァルケンの改革案を支持している。経済専門家委員会は介護を必要とする人々の自己責任の強化を求めた。「好景気の時期に、我々は単にこの制度を過度に拡大し、目標を大幅に超えてしまった」と、経済専門家委員会の委員長であるモニカ・シュニッツァー(Monika Schnitzer)は述べている。
「我々は手厚くなりすぎた部分」を是正する必要がある。専門家たちの提言はヴァルケン氏の計画さえも上回る。自己負担分への補助金は即座に完全に廃止すべきだという。その場合、介護保険の基礎給付のみが残ることになる。というのも、保険からの補助金は当然ながらすべての被保険者が恩恵を受けるものであり――理論上は施設入所の費用を全額自己負担できる人々でさえも例外ではないからだ。他方、生活保護は包括的な資産調査を通じて、実際に真に必要としている人々にのみ支援を提供するべきである。
ロジプカさんは自分の部屋からよく階段を上り、出口を通って中庭へ出る。右側には彼のお気に入りの場所、施設関係者によって「認知症の庭(Demenzgarten)」と呼ばれる場所がある。柵で囲まれた緑地で、認知症の患者が外に出られないようになっている。たいていの場合、彼は一人でそこのベンチに座り、目を閉じて太陽の方を向いている。死を恐れてはいない、と彼は言う。良い人生だったと彼は思う。いつも簡単だったわけではないが、全体としては良かった。彼には4人の孫がおり、今ではひ孫までいて「とても賢い男の子」だ。いつか「認知症の庭」か、20号室で、自分の人生が終わるとしても、それでいいとロジプカさんは言う。それが、彼に残されたすべてなのだから。
Die Zeit von Nr. 26, 11.6.2026, S. 3
注:ユーロを単純に為替上で日本円に換算すると、日本在住者の生活実感からすると、ドイツとの大幅な乖離が生じると思うので、文中ではあえて購買力平価ベース(1ユーロ=118円)で日本円での換算を行いました。